居留地の歴史

かつて、長崎は、200年余の鎖国政策時代わが国唯一の貿易港として西洋の多くの文化が流入し、日本文化の近代化に大きく貢献しました。いわゆる日本が世界の事を知る唯一の情報発信の地でした。 1858年、幕府は5カ国(米・蘭・露・英・仏)と修好通商条約を結び、翌年、横浜・函館とともに長崎も新しい時代の自由貿易港として繁栄したのです。多くの外国人がビジネス・チャンスを求めて長崎に渡来し、商業活動や居住の拠点となる外国人居留地が東山手・南山手地区等に造成されました。
東山手

当時は領事館の丘と呼ばれていました。領事館の他に礼拝堂が建ち、その後これら跡地にミッション系の学校が増えて現在に至っています。
オランダ坂があるのもここです。
南山手

居留地の中でも特に住宅地として使われていた区域です。 港を見下ろす眺めの良い丘の上で、旧グラバー住宅をはじめとした洋風住宅郡があります。
大浦天主堂があるのもここです。
あの頃の長崎の文化、異国情緒が現在も溢れています。 長崎・居留地ネットワークは、その思いをみなさんにお伝えする新たな情報発信基地です。